天平宝字元年(757年)日光山を開く勝道上人(しょうどうしょうにん)によって当山奥之院三昧石(三枚石)が開創されました。上人が二十三歳の時、下野の出流山(いずるさん)より三昧石に着いた際、峯に古色蒼然とした広大な原野があるので古峯原(こぶがはら)と名付けられました。また、一説には『花供(はなく)の峯』から『供峯(くぶ)』へ、更に『古峯(こぶ)』になったとも言われています。
金剛山という名称は【弘法大師が上人の遺弟道珍法師に金剛界の大法を授けたという説】と【1335年頃に後醍醐天皇の勅願によって大和の国(奈良県)葛城別当賢道(けんどう)僧正によって葛城金剛山の分霊を奉じて本尊金剛童子を祀った説】があります。
日光山発展と共に古峯原も峯修行に多くの修行者が来山し興隆してまいりましたが、明治初年の神仏分離令による政体の変更、大正八年の大洪水による本堂並びに庫裡・客殿の流出等により当山も一時哀徴の一途をたどりましたが、有縁の浄地を現在地に求め本堂を建立、法燈を護持して霊域も回復、今日に至っております。
北関東三十六不動尊は三密教の道場として、昭和63年につくられました。栃木県、群馬県、茨城県の北関東の3県のお寺で組織され、栃木県は「口蜜修業(真言を唱え)の道場」、群馬県は「身蜜修業(手に印を結び)の道場」、茨城県は「意蜜修業(心を集中させる)の道場」となっており、護摩を焚く寺を基準に選ばれています。当山は第17番札所になります。金剛不動尊像が寺院入口で大火炎を背負ってお立ちです。右手にかかける剣で、願主に降りかかる一切の諸難を断ち切り、あわせて人生の荒波を切ってくださる有難い仏様ということで、今日では、広く全国各地から多数のご参拝をいただいております。
宗 旨/ | 真言宗醍醐派 當山派修験道 |
御本尊/ | 金剛童子(金剛大権現) |
寺 宝/ | 金剛童子尊像 不動剣並両童子 古峯原開山勝道上人尊像 金剛不動尊並両童子 |
御詠歌/ | 諸々の厄難払う火渡りは金剛不動の願いなりけり |